大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和48年(ネ)1555号 判決 1975年10月23日

控訴人 日本道路公団

訴訟代理人 浜本一夫 河原和郎 森正弘

被控訴人 株式会社伏見運送店 ほか三名

主文

一  原判決中、被控訴人株式会社伏見運送店に関する部分を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人株式会社伏見運送店に対し金一二二万四、四三〇円および内金一〇三万四、四三〇円に対する昭和四四年四月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

同被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用中、同被控訴人と控訴人との間に生じた分は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を同被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

二  被控訴人田門フサエ、同田門俊一、同田門富恵に対する本件各控訴を棄却する。

控訴費用中同被控訴人らと控訴人との間に生じた分は控訴人の負担とする。

事  実<省略>

理由

一  当裁判所も、(1)控訴人には本件事故により被控訴人らが被つた損害を賠償すべき責任がある、(2)控訴人主張の不可抗力ならびに過失相殺の抗弁はいずれも失当である、と判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは、

原判決理由第一ないし第四項の説示(原判決理由冒頭から一九ページ末行まで)と同じなので、これを引用する。

(一)1  原判決四ページ九行目の<証拠省略>を<証拠省略>と改め、<証拠省略>の次に<証拠省略>をそう入し、一〇行目の「この認定」から一一行目の「採用しないし、」までを「<証拠省略>の各記載のうち、この認定に反する部分は採用できず、」と改める。

2  同六ページ六行目の「三、四回」から七行目の「停車した。」までを「車体が横すべりして蛇行状態となつたので、危険を感じて停車させた。」と改める。

3  同八ページ五行目から六行目にかけての「大谷統一」を「野田良二」と改める。

4  同一〇ページ末行の「追突するのと同時に、」を「追突した直後に、」と改める。

5  同一一ページ二行目から三行目にかけての「追突するのと同時に、原告車に追突した。」を「追突した直後に原告車に追突(車体の左前部、中央部が原告車右後部に接触)した。」と改める。

6  同一一ページ八行目の「これらの事故」から同九行目の「である。」までを削除する。

7  同一一ページ末行と一二ページ一行目との間に次のとおりそう入する。

「なお、本件事故の直前、控訴人公団の交通管理所茨木分駐所のパトロールカーが事故現場附近の名神高速道路上り車線を通過したが、その際、同車の乗務員らが路面凍結に気付かなかつたことは後に認定するとおりであるけれども、右事故をもつてしては、未だ本件事故当時、事故現場である同高速道路下穂積高架橋下り車線の路面が凍結していたとの前認定を覆すに足らないというべきである。」

8  同一二ページ五行目の「突進中」を「停車中」と改める。

9  同一二ページ一二行目の「わけにはいかない。」の次に左記のとおり補充する。

「もつとも、<証拠省略>ならびに弁論の全趣旨によると、本件事故に遭遇した車両のうち、原告車は総重量(荷重を含む)が少い方であつたにもかかわらず、同車よりも重量が大である前記朝倉車、林田車とともにその破損程度が甚しいことが認められ、右事故に徴し、右事故に際し、原告車は他の車両よりも高速度で走行していたのではなかろうかと推測できないでもないが、このことから直ちに亡田門俊男に自動車運転上の過失があつたものと断ずることはできない。」

(二)1  原判決一六ページ一行目と二行目の間に次のとおりそう入する。

「(二)<証拠省略>を総合すると、控訴人公団には、前記道路維持事務所のほかに、交通管理を担当する「交通管理所」が設けられており、茨木インターチエンジ内に京都東インターチエンジから西宮インターチエンジまでの間を受持区域とする「交通管理所茨木分駐所」が置かれていたこと、同分駐所はパトロールカーにより受持区域を一日九回等間隔で巡回して路面状況の点検、気象状況の把握等にあたり、交通の妨げとなる異常事象を発見したときは、一宮インターチエンジ内の「交通管理所指令室」に無線等により通報する仕組みとなつていたこと、同分駐所のパトロールカーは、一二日午前三時三〇分ころ茨木インターチエンジを出発して受持区域を一巡し、午前六時ころ帰着したこと、その間、同パトロールカーは午前五時前ころ本件事故現場下り車線を、午前六時前ころ同上り車線を通過したが、乗務員ら(二名)は路面の異常に気付かなかつたため、下車して路面を点検した事実はないこと、もつとも、同乗務員らは、西宮インターチエンジを折返して茨木インターチエンジへの帰途、上り車線を走行中、吹田附近からのところどころに霧の発生を認めたが、交通の妨げとなるほどのものではないと考え、前記指令室への通報はしなかつたこと、なお、交通管理所では雪氷対策期間中も特にその交通管理体制を強化充実きせることはなく、右雪氷対策は前記のとおり道路維持事務所が担当したことが認められ、右認定に反する証拠はない。」

2  同一六ページ二行目の「(二)」を「(三)」と、「結果」を「結論」と各改める。

3  同一六ページ一〇行目の「パトロール」の次に「による路面点検」をそう入する。

4  同一六ページ末行の次に左のとおり補充する。

「(4) また、交通管理所は本来雪氷対策を分担する組織ではなく、本件事故前のパトロールに際しても、路面凍結ならびに凍結のおそれの有無の点検に特に留意した形跡はない。さらに、霧による事故防止については、同管理所はもとより控訴人公団全体としても、日ごろからその配慮が不十分であつた。」

(三)1  同一八ページ一行目から二行目にかけての「薬剤、薬液撒布をしたり、パトロールを強化にすることによつて、」を「パトロールを強化して、凍結ならびに凍結のおそれの有無を点検し、必要に応じて薬剤、薬液を撒布することによつて、」と改める。

2  同一八ページ一二行目から一九ページ八行目までを次のように改める。

「本件の場合、事故発生に至るまでの経緯ならびに交通管理所茨木分駐所パトロールカーの巡回状況としてさきに認定した事実を総合すると、事故発生のかなり前から茨木インターチエンジ附近は、東西各所に相当に濃い霧が発生していたものであつて、前記道路維持事務所または交通管理所において霧による事故防止に留意し、右気象状況を的確に把握したならば、少なくとも、同インターチエンジ附近を通行する車両に対し警告を発し、あるいは、徐行を促す等適切な措置を講ずべき時間的ゆとりがあつたものと推認でき、また、同インターチエンジ以西の通行を一時的に禁止することも不可能ではなかつたであろうと考えられる。

そして、控訴人が路面凍結ならびに霧に対する右各対策を講ずることにより、本件事故は防ぎ得たはずである。

なお、控訴人は、道路管理者たる控訴人としては、路体等の維持保全にかかわりのない霧の発生を原因として、道路法四六条一項の交通規制権限を行使することはできない旨主張するのでこの点について付言する。まず、道路管理者の右規制権限は道路管理に必要な限度でのみ行使できるものであること、そして、右管理の目的は道路を一般交通の用に供するにあることは控訴人主張のとおりである。しかし、道路を一般交通の用に供するためには、もとより、その安全性が確保されなければならないところ、道路通行の安全性はそれをとりまく自然現象を抜きにしては考えられない。従つて、自然現象に基因する交通事故等発生の防止措置を講ずることも道路管理権の一作用として把握するのが相当である。道路法四六条一項は、道路管理者は「道路の破損、欠壊その他の事由に因り交通が危険であると認められる場合」道路の通行を禁止または制限できる旨を定めているが、右の見地に立つて考えると、霧の発生も「その他の事由」に該当すると解すべきであつて、この点に関する控訴人の前記法律上の主張は採用できない。」

3  同一九ページ末行の次に「また、控訴人は、亡田門俊男に自動車運転上の過失があつたとして、過失相殺を主張するが、右過失を認めがたいことも前説示のとおりであるから、右主張も採用できない。」を付加する。

二  そこで被控訴人らの損害について検討する。

(一)  被控訴会社の損害

本件事故により被控訴会社が被つた損害については、「社葬費」、「原告車の損害」に関する説示(原判決二〇ページ五行目から九行目まで)を左のように、「弁護士費用」に関する説示中の「金一三六万円」(同二〇ページ一五行目)を「金一〇三万四、四三〇円」と改めるほかは、原判決理由(同二〇ページ三行目から二一ページ三行目まで)と同一であるから、これを引用する。

「(2) 社葬費 金六万四、四三〇円

被控訴会社が亡田門俊男を雇傭していたこと、被控訴人フサエが右俊男の妻、被控訴人俊一、同富恵が俊男の子であることは当事者間に争いがなく、<証拠省略>によると、亡俊男の葬儀は、同人死亡後間もなく、被控訴会社の社葬として執り行なわれ、被控訴会社は右葬儀関係費用として原判決添付別表(二)記載のとおり合計金一九万六、九九〇円を支出したこと、右社葬のほかに、亡俊男の遺族らによる葬祭は営なまれなかつたことが認められ、右事実によれば、被控訴会社による社葬は、通常遺族らが執り行なう葬儀の肩代りとしての実質を有することが明らかであるところ、右認定の金額は亡俊男の葬儀費用として社会通念上相当と認められる範囲内にあるということができる。そして、被控訴会社の支出した右費用は、損害賠償義務の履行として本来控訴人において負担すべきものを被控訴会社が第三者弁済(民法四七四条)したものとみるべきであるが、<証拠省略>、弁論の全趣旨によれば、亡俊男の遺族らは、その後、労災保険給付として金一三万二、五六〇円の葬祭料の支給を受けたことが認められる。

そうすると、弁論の全趣旨に徴し、被控訴会社は、前記代位弁済と同時に、その支出した金額のうち、右の金一三万二、五六〇円を超える部分について遺族の承諾(民法四九九条)を得て、遺族らの有する控訴人に対する損害賠償請求権を代位取得したものと認めるのが相当である。

以上説示したところによれば、本訴において被控訴会社が控訴人に対し賠償を求め得る社葬関係の費用は金一九万六、九九〇円から金一三万二、五六〇円を控除した金六万四、四三〇円となる。

(3) 車両破損による損害金九七万円

<証拠省略>ならびに弁論の全趣旨によると、本件事故の際、亡田門俊男が運転していた被控訴会社所有の貨物自動車は、同事故により修理不能なまでに大破したこと、右自動車と同程度の車両の事故時における取引価格は少くとも金一〇〇万円む下らないが、被控訴会社は右破損した自動車をスクラツプとして金三万円程度で売却したことが認められる。そこで、右事実に徴し、被控訴人は、右自動車の破損により金九七万円の損害を被つたものと推認するのが相当である。」

(二)  被控訴人フサエ、同俊一、同富恵の損害

前記本件事故の態様、亡俊男と被控訴人フサエら三名の身分関係、<証拠省略>により認められる事故時における俊男、右被控訴人ら三名の年令(俊男は三八才、フサエは三六才、俊一は一四才、富恵は一一才)・その他本件に顕われた諸般の事情に照すと、控訴人主張の労災保険金の受給、将来にわたる受給資格の取得の事実を考慮しても、俊男死亡による被控訴人フサエら三名の慰籍料としては、同被控訴人ら主張の各金額(フサエ金三〇万円、俊一、富恵各金一五万円)が相当である。

三  以上により、(1)被控訴会社の本訴請求は、控訴人に対し本件事故による損害の賠償として合計金一一三万四、四三〇円とそのうち弁護士費用を除く金一〇三万四、四三〇円に対する右事故の日の後である昭和四四年四月一一日(社葬費用については、前記代位弁済の後でもあることが弁論の全趣旨により明らかである。)から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当として棄却すべきであり、(2)同損害賠償として、控訴人に対し被控訴人フサエにつき金三〇万円、同俊一、同富恵につき各金一五万円とこれらに対する右事故の日の後である昭和四二年五月一三日から各支払ずみまで右同割合による遅延損害金の支払を求める同被控訴人ら三名の請求は全部理由があるものと認められる。

そこで、原判決中、これと結論を一部異にする被控訴会社関係部分を右の趣旨に変更し、右と同旨の被控訴人フサエら三名に関する部分についての本件各控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、九六条、八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官前田治一郎 荻田健治郎 尾方滋)

【参考】一審判決(京都地裁 昭和四二年同第四九四号 昭和四八年九月一八日判決)

主文

被告は原告株式会社伏見運送店に対し金一四六万円とうち金一三六万円に対する昭和四四年四月一一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告田門フサエに対し金三〇万円、原告田門俊一、同田門富恵にに対し各金一五万円と、これらに対する昭和四二年五月一三日から支払いずみまで同割合による金員を支払え。

原告株式会社伏見運送店のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

この判決は原告ら勝訴の部分に限り仮に執行することができ、被告は原告株式会社伏見運送店に対し金一〇〇万円の担保を供して仮執行を免れることができる。

事  実<省略>

理由

一 訴外亡田門俊男は、昭和四二年一月一二日、原告会社所有の大型貨物自動車を運転して、伏見から西宮に向つて、被告公団の設置管理する名神高速道路下り車線を進行中、茨木市下穂積の下穂積高架橋上(西宮を基点として二二・八キロポストから東方約一〇〇メートル附近)で、いわゆる玉突衝突事故が発生し、同訴外人は即死したこと、本件事故のとき、降雪は止んでいたが、濃霧のため、本件事故現場附近の視界が二〇メートルであつたこと、以上のことは、当事者間に争いがない。

二 本件事故発生の原因について

(一) みぎ争いのない事実や、<証拠省略>を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する<証拠省略>は採用しないし、ほかに、この認定の妨げになる証拠はない。

(1) 本件事故現場は、名神高速道路の茨木インターチエンジと豊中インターチエンジの間で、下穂積高架橋(長き約一四五メートル)上である。

下穂積高架橋は、それぞれ二車線(一車線の幅三・七メートル)からなる上り線下り線が中央分離帯(約三メートル)で区分きれ、両路肩の外側には、高さ約一メートルのコンクリート防護壁が設けられている(添付図面<省略>参照)。

なお、乗用車の最高速度が毎時一〇〇キロメートル、貨物自動車のそれが毎時八〇キロメートルに、最低速度が毎時五〇キロメートルにそれぞれ定められている。

(2) 訴外密岡達夫は、普通貨物自動車(三河4そ七一五九号)を運転して、豊橋市から大阪に向つて、名神高速道路下り走行車線を進行した。

同訴外人は、京都南インターチエンジをすぎて天王山トンネルの辺りまできたとき、霧のため視界が約三〇メートルになつたので、時速を四〇ないし五〇キロメートルに落して進行したが、茨木インターチエンジをすぎたとき、視界が二〇メートルになつた。そこで、密岡達夫は、スピードを約四五キロメートルに落して本件事故現場に差しかかつた。

密岡達夫は、本件事故現場附近で、後続車(タンクローリー車)を追い越させるため、車を走行車線の左側に寄せ、再び走行車線の右側に戻るべくハンドルを右に切つたが、路面が凍結していたためハンドルをとられ、三、四回ローリングしたのち、一回転して停車した。そこで、密岡達夫は、急いで車を元に戻し走行車線の左に寄せて停車した。

密岡達夫がこのように停車したのは、昭和四二年一月二一日午前六時五分ごろである。

(3) 訴外大谷統一は、普通貨物自動車(多摩4ほ五七一〇号)を運転して、東京から和歌山に行くべく、同日午前二時ごろ、小牧インターチエンジから名神高速道路下り線に入つた。この辺りから、名神高速道路には積雪があり、これが両側にかき分けられていた。京都を出たあたりで、霧がだんだん増え、見とおしが悪くなつた。そうして、道路のところどころが凍結していたので、ハンドルをとられた。

大谷統一は、茨木インターチエンジをすぎてから、時速四〇ないし五〇キロメートルで西進を続け、本件事故現場に差しかかつたところ、前方に停車中の前記密岡達夫の運転する大型貨物自動車を発見し、急停車した。

大谷統一のこの普通貨物自動車は、密岡車の直近で、右後部を追越車線の方にふつてやつと停車した。

(4) 訴外野田良二は、大型貨物自動車(名古屋1う二六一八号)を運転して、同日午前五時ごろ大津インターチエンジから名神高速道路下り車線に入つたが、このとき、被告公団の職員は、「雪はないし、制限もない」と説明した。

天王山トンネルを越えたあたりから、霧が濃く流れて移動し、見とおしが二〇ないし三〇メートルしかなかつたので、野田良二は、時速を四〇キロメートルに落して西進を続けたが、本件事故現場附近では、特に見とおしが悪くなつた。そこで、野田良二は、前方に注意しながら進行して行くと、停車中の大谷統一の普通貨物自動車を発見した。そこで、大谷統一は、右にハンドルを切つたところ、路面凍結のためスリツプし滑走しながら大谷車に追突してしまつた。大谷車は押し出されて密岡車に追突した。

(5) 訴外朝倉寛次は、同日午前六時ごろ、凍結防止用の薬液(塩化カルシユム)を撒布するため、被告公団の撒水車(京8せ三七号)を運転して被告公団茨木道路維持事務所を出発し、名神高速道路に入つたが、このとき、霧のため見とおしが悪く、視界は五〇メートルであつたので、時速四〇キロメートルで西進し、本件事故現場に差しかかつたが、その手前二〇〇メートル位では、視界二〇メートルになつた。

朝倉寛次はそのままのスピードで運転を続け、前記野田車を発見して急ブレーキをかけたが間に合わず追突した。名神高速道路に入つた地点から衝突地点までは、一・八キロメートルである。

(6) 訴外阿部昌憲は、大型貨物自動車(香1い一七一五号)を運転して高松に行くべく、一宮インターチエンジから名神高速道路下り車線に入つたが、京都南インターチエンジをすぎたころから、霧のため見とおしが悪くなり、視界五〇メートルになつたので、スピードを五〇キロメートルに落して西進した。

茨木インターチエンジをすぎたとき、急に視界が二〇メートルになつたが、そのままのスピードで進行しているうちに、前記朝倉車を発見し、急ブレーキをかけたところ、路面が凍結していたのでスリツプし、朝倉車に追突した。

(7) 訴外林田久雄は、大型貨物自動車(長崎1う一〇一〇号)を運転して佐世保に行くべく、大津インターチエンジから名神高速道路下り車線に入つた。

霧は、西に行くに従つて濃くなり、茨木インターチエンジを出たところでは、一段と濃くなり、見とおしが悪くなつたので、林田久雄は、時速五〇キロメートルにスピードを落して西進中、本件事故現場の手前一〇〇メートルの辺りで視界が二〇メートルになつたので、スピードを四〇キロメートルに落した。そうして、林田久雄は、本件事故現場で、前記阿部車を発見し、急ブレーキをかけたが間に合わず、これに追突した。

(8) 田門俊男は、原告車を運転して、この林田車に追従し、林田車が阿部車に追突するのと同時に、林田車に追突した。

(9) 訴外塩崎寛幸は、大型貨物自動車(香1い二二六四号)を運転して原告車に追従し、原告車が林田車に追突するのと同時に、原告車に追突した。

(10) 本件玉突衝突事故のほか、同日午前六時四〇分ごろ、吹田市岸部上り車線一九キロポスト附近で、八台の車の玉突衝突事故が、同日午前六時四五分ごろ、茨木市中穂積下り車線二三・二キロポスト附近で、八台の車の玉突衝突事故が発生した。これらの事故の原因は、本件事故と同様、濃霧と路面凍結である。

(11) 本件事故のあつた下穂積高架橋は、高架で吹きさらしのため、凍結の可能性が強く、霧も発生し易い場所である。

本件事故のあつたとき、下穂積高架橋の路面は一面に凍結し、茨木インターチエンジから下穂積高架橋までの路面(約一・八キロメートル)は、部分的に凍結していた。

(二)H 以上認定の事実から、次のことが結論づけられる。

(1) 本件玉突衝突事故の原因は、下穂積高架橋の路面が一面に凍結し、事故車らが急停車の措置をとつたが、凍結のためハンドルをとられて滑走し、急停車できなかつたことと、濃霧のため、見とおしが悪く、近接してやつと、突進中の事故車らを発見し、それから急制動をかけても、間に合わなかつたことにある。

(2) 田門俊男の追突の原因も同様である。

(3) 田門俊男が、特別高速度で無謀な運転をしたことが認められる証拠がないのであるから、他にも多くの追突事故を惹起した運転手があることにかんがみ、田門俊男に運転上の過失があつたとするわけにはいかない。

三 被告公団の名神高速道路管理について

(一) <証拠省略>を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(1) 被告公団では、毎年一一月二〇日から翌年三月中頃までを雪氷対策期間とし、名神高速道路の雪氷に対処して、事故防止のため道路管理に留意し、特に高架橋梁の区間には、重点的に、薬剤、薬液の撒布をして、夜間の急冷による路面凍結防止に務める方針であつた。

(2) 昭和四二年一月一一日は、昼ごろから降雪があり、午後六時三〇分ごろから、茨木地方はみぞれになつたので、被告公団の名神高速道路雪氷対策本部では、同日午後八時全線の速度を五〇キロメートルに制限したが、降雪がやんだので、翌一二日午前三時三〇分、この制限を全線にわたつて解除した。

(3) 他方、被告公団茨木道路維持事務所は、一一日退庁後、一〇名の職員に雪氷対策員として居残りを命じ、パトロールを強化した。

本件事故現場附近は、一一日午後八時二〇分ごろ、薬剤がまかれたが、その後本件事故までに薬剤、薬液の撒布はなく、茨木道銘維持事務所は、茨木インターチエンジより東側でこれまで凍結の多かつた方に力を入れて薬剤や薬液の撒布をした。この撒布された薬剤や薬液は、路面の水などで薄められ、漸次効果がなくなっていくものである。

(4) 同事務所は、一一日午後一一時四〇分ごろ、受持区域(大津東インターチエンジから西宮インターチエンジまでの間)の薬剤、薬液の撒布を終え、一二日午前〇時ごろ、夕食をとり、再び、受持区域のパトロールを一回し、午前三時三〇分ごろ、電話番を残して仮眠した。

当時の同事務所の責任者であつた訴外大内正は、仮眠する際、気温が一度で降雪もなく、これで朝まで大丈夫であると判断した。

(5) 前記対策本部は、一二日午前六時ごろ、同事務所に、西宮インターチエンジの料金所前広場が凍結しそうなのですぐ出動するよう電話してきた。そこで、大内正は、朝倉寛次を起して、薬液撒布のため西宮インターチエンジに向わせた。この朝倉車が、本件玉突衝突事故に巻き込まれる結果になつた。

(6) 大内正は、前記本部からの電話連絡があるまで、受持区間の路面状況を把握していなかつたので、路面凍結や濃霧の発生がいつあつたのか全く判つていなかつた。従つて、同事務所から連絡がなかつたので、対策本部に、路面凍結や濃霧について、なんの情報も入つていなかつた。

なお、同事務所と本部とは、直通電話や無線で連絡することができ、対策本部は、名神高速道路の全情報を集めて指示することができる体制になつていた。

(二) 以上認定の事実から、次のことが結果づけられる。

(1) 茨木道路維持事務所は、二一日午前三時三〇分ごろで、雪氷対策を終え、一度撒布した薬剤、薬液の効果により、路面凍結が防止できると速断し、それ以後、なんらの路面凍結防止をしなかつた。

(2) ところが、一二日の朝方から温度が下り、薬剤、薬液の効果がなく、本件事故現場をはじめとする高架橋梁の路面が一面に凍結してしまつた。

しかし、同事務所は、早朝のパトロールを怠つたため、この凍結を発見して適切な措置を講ずることができなかつた。

(3) そのうえ、同事務所は、霧に対する事故防止については、全く念頭になく、濃霧に対する交通安全について、なんらの適切な措置がとられなかつた。

四 責任原因

(一) 被告公団は、名神高速道路を設置管理しているが、高速道路は、国の重要幹線道路であり、通行車両も多く、しかも高速で通行するのであるから、通行車両の安全については、最重点的に配慮しなければならない。従つて、高速道路としての安全性に欠け、それが、道路管理上の手落ちにもとづくときには、被告公団の高速道路の管理に瑕疵があつたと解するのが相当である。そうして、この管理の内容は、高速道路であることから、高度のものが要求されるのは当然である。

本件では、下穂積高架橋の路面が一面に凍結していたもので、これが、被告公団の名神高速道路管理の手落ちであることは、多言を必要としない。路面が凍結しているということは、道路の通行の安全性が欠如しているということであり、しかも、凍結防止の方策がないわけではなかつた。すなわち、前記事務所が、一二日午前三時三〇分以後も薬剤、薬液撒布をしたり、パトロールを強化することによつて、凍結防止が可能であつた。

そのうえ、本件事故現場では、視界二〇メートルの濃霧があり、これが、路面凍結と相まつて、本件事故を大きくする原因になつた。しかし、被告公団では、本件事故当時、濃霧中に名神高速道路を通行する車両の安全を確保するため、なんらの方策もとられなかつた。濃霧に対処するためには、通行車両の速度を制限するか、場合によつては、名神高速道路を部分的に閉鎖する措置が必要となり(道路法四六条一項)、その閉鎖を完全にするためには、閉鎖区間にすでに進入した車両を直接誘導することも必要になつてくる。

本件でも、前記事務所が、気象状況に留意し、茨木インターチエンジから西方の濃霧を早く発見し、茨木インターチエンジを通行する西行車両に警告を発し、あるいは、同インターチエンジの下り車線を閉鎖していたなら、本件事故の発生は防ぎ得たわけである。

ここに特記すべきことは、本件事故と相前後して、他に二件の玉突衝突事故が発生し、その原因が、いずれも、路面凍結と濃霧であることである。このことから、本件事故当時、本件事故現場附近から西の名神高速道路は、まことに通行上危険な状態にあつたということができ、これは、被告公団の道路管理の杜撰さの証左である。

以上の次第で、被告公団の名神高速道路の管理に手落ちがあり、これは、道路管理の瑕疵であるとしなければならない。

従つて、被告公団は、国家賠償法二条一項により、原告らに生じた損害を賠償する義務があることに帰着する。

(二) 被告公団は、本件事故は不可抗力によると抗弁しているが、以上に説示したところから明らかなとおり、本件事故は、不可抗力によつて発生した事故ではない。

従つて、被告公団のこの抗弁は排斥する。

五 損害額について

(一) 被告会社の損害

(1) 川応急費 〇円

これらが認められる的確な証拠がない。

(2) 社葬費 金一九万円

<証拠省略>によつて認める。

(3) 原告車の損害 金一一七万円

みぎ証言と同結果によつて認める。

(4) 運送事業一部中止による損害 〇円

これが認められる的確な証拠がない。

(5) 応訴費用 〇円

本件事故と相当因果関係にある損害とは認められない。

(6) 弁護士費用金一〇万円

原告会社の損害は、以上の合計金一三六万円になるが、原告会社は、本件原告訴訟代理人に訴訟委任をしたことは、当裁判所に顕著な事実であるから、弁護士費用中本件事故の損害として被告公団に負担が求められるのは、金一〇万円が相当である。

(二) 原告田門フサエらの損害

原告田門フサエが田門俊男の妻、原告田門俊一、同田門富恵が田門俊男の実子であることは、当事者間に争いがない。原告田門フサエらは、田門俊男の死亡によつて精神的損害を被つたことが明らかであるから、その精神的損害に対する慰籍料は、原告らの請求どおり次の額が相当である。

原告田門フサエ 金三〇万円

原告田門俊一  金一五万円

原告田門富恵  金一五万円

六 むすび

被告公団は、原告会社に対し金一四六万円と、うち金一三六万円に対する本件事故の日の後である昭和四四年四月一一日から、支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告田門フサエに対し金三〇万円、原告田門俊一、同田門富恵に対し各金一五万円と、これに対する本件事故の日の後である昭和四二年五月一三日から各支払いずみまで同割合による遅延損害金をそれぞれ支払わなければならないから、原告らの請求をこの範囲で認容し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い主文のとおり判決する。

(裁判官 古崎慶長)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例